【文化の盗用】文化の盗用について日本人があまり批判的な意見を持たない理由

はい、こんにちは不安ばっかりです。

今回は日本人には馴染みの薄いテーマである、文化の盗用を扱います。

 

文化の盗用

 

まず、知らない方向けに、文化の盗用がどのような行為であるのか説明します。

文化の盗用という言葉は、ある社会において、マジョリティがマイノリティの服装、仕草、料理などの文化を真似たときにしばしば用いられます。

 

文化の盗用の例

 

例えば、アメリカの白人学生がプロム(アメリカやカナダの高校で学年の終わりに行われるフォーマルなダンスパーティ)においてチャイナドレスを着用し、その写真をネットに投稿したところ、その行為が文化の盗用であると批判を受けるということがありました。

 

また、米ファッション誌vagueにおいて、白人系モデルが日本の伊勢志摩にて芸者風の装いをしたことでも、その行為が文化の盗用であると批判を受けました。

 

しかし、日本に住む日本人はこのvagueによる文化の盗用騒動について、激しい意見を持つ人はほとんどいなかったようです。

 

何故日本に住む日本人は文化の盗用に無関心なのか

 

では今回の本題に入りましょう。

日本人が文化の盗用にあまり興味がない理由ですが、端的に言えば、日本に住む日本人は少数派ではなく、また他人種による支配を受けていないからです。

 

最初に説明した通り、文化の盗用は

「マジョリティがマイノリティの文化を真似る」

という行為です。

個人的にこれだけでは文化の盗用を定義しきれてないように思うので、

ものすごく個人的にですが、

ここに独自的な考えを加えようと思います。

それは、マジョリティ、マイノリティというだけではなく、

支配する、されるの関係です。

 

なぜなら、世界には、少数派が多数派を支配している地域もあり、

このような地域で、支配者側が、被支配者側の文化を真似ても、文化の盗用に当たると考えられるからです。

 

現代日本に住む日本人は圧倒的に多数派です。また、ほかの人種からの支配を受けていません。(米軍基地問題などはここでは保留します)

 

しかし、第二次世界大戦後の日本について考えてみるとどうでしょう。

日本は戦後GHQの支配を受けます。これは先述した、少数派による多数派の支配です。

もし、この時日本人を支配している米兵が日本の着物を着たならば、それを目にした当時の日本人はおそらく不快に感じるでしょう。

「自分達を支配し、その上文化までも奪うのか」と。(勝手な個人の意見ですが)

 

支配された時、抑圧された時、少数派である時、文化は特別、被支配者のアイデンティティとなり得ます。

つまり文化の盗用とはアイデンティティを奪う行為にほかならないのです。

 

さらに追加ですが、日本人はマジョリティであるという意識も希薄だと思います。

日本は単一民族国家だという意識が人々の根底にあるのでしょうか。

 

少し今回の趣旨と外れてしまいますが、

このせいで日本に住んでいる外国人を、

あくまでも

日本にやってきている人

と捉え、

日本に住んでいる人

とは捉えられていないのではないかと思います。

それ故にあくまでも外国人は海外から来るお客様であると考え、

多文化共生の妨げになっていると思います。

日本は単一民族国家?そんなはずはない

 

結論の付け方が中途半端な形になりましたが、自分としての考えを表せたので、今回はここまで。

また何か思うところがあれば追記するかもしれません。

 

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